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日本生まれの日本育ちなのに何故かよく「日本語がお上手ですね♪」とほめられる。
日本では南西諸島以外の場所に住んだことがないが、サンタクルス市街の地理にはタクシーの運転手なみに詳しい。

奥アマゾンに日本が出現!

2005年12月18日

奥アマゾンに日本が出現!

http://www.mapas-brasil.com/pdf/acre.pdf

奥アマゾンに日本が出現!
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12月3日の記事で奥アマゾンに東京、横浜、日本などの地名があることを書きました。
これは外務省が中心になって編さんした本によって、35年も前に日本国内で発表された事実です。
またこれらの地名が日本人労働者の足跡を示すものであることも、既に多くの研究で明らかになっています。
ところがぁぁ、彼らの足跡である可能性を持つ地名はそれだけじゃなかったんです!

不肖jumechi、今から1時間ほど前に発見しちゃいました(^_^)v
日本語で書かれたこのテーマに関する文献はほとんど読みつくしているので、日本語で発表されるのはこれが初めてかもしれません。
(K博士は既にご存知かなぁ?ジャーナリストmitaさんはアマゾン突撃がお得意だから知ってる可能性もあるにゃ)

場所はブラジルのアクレ州、ボリビア共和国パンド県の北に隣接する地域です。
Novo Japão(新日本)と書かれています。
日本人の出稼ぎ労働と関係があるのかはまだ分かりませんが、20世紀初頭この地域に入った日本人がゴム液採取労働に就いたことや現在にいたるまでこの地域が天然ゴムの産地であることから、可能性は十分にあると思われます。
う~~っ!旅&研究の禁断症状が出てきたぞ、、、
このあたりを現地調査する物好き日本人なんてほとんどいないからな~。
nekoさんはポルトガル語がお上手だから、文献調査とか、ネット調査とか、いかがですかね、ね、ね?


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この記事へのコメント
あげ~っ!これってひょっとしてすごい発見じゃないの?!
Posted by taka at 2005年12月18日 22:55
まだまだこうした地名は探せばありそうですね。それだけ当時の日本人が拡散して暮らしていたんでしょうね。そうした場所一つ一つに歴史や暮らしがあるんでしょうね。奥深さを感じます。
Posted by masa at 2005年12月18日 23:34
のぼじゃぽん...よう見付けましたなぁ。

さて、ネットを調査しましたが、ブラジル南部ではアクレ州そのものがアマゾンの果てという風に見られていますので、人口1000に満たない(であろう)村のデータは統計・地理院(IBGE)サイトですらかかりませんでした。

アクレ州オフィシャルサイト
http://www.ac.gov.br/ ←なーんも無い...

http://www.historiadoacre.com.br/sobre_o_acre.htm
↑どうやらNovo JapaoはFeijo(ふぇいじょー)群に属する様子

http://www.fallingrain.com/world/BR/1/Novo_Japao.html
↑地図・気象・環境グラフ

以上です。こりゃー現地調査を行わないと...我輩は行かんぞ(笑)。

さて、ブラジル国南部に目を向けますと、日系の地名は他にも有るんですな。
パラナ州のAssaí(朝日)市。
http://www.assai.pr.gov.br/index.html
http://www.fallingrain.com/world/BR/18/Assai.html
サンパウロ州のPereira Barreto市(元Novo Oriente・新東洋)市
http://www.pereirabarreto.com.br/
http://www.fallingrain.com/world/BR/27/Pereira_Barreto.html

他にもあったようですが、第二次大戦勃発後、日本名は強制的に改称されました。
Assaíが残されたのはAçaí(あさいー・椰子の一種)に似ているからと云われています。





Posted by neko at 2005年12月18日 23:46
追加

Novo Japão付近の衛星写真

http://www.relevobr.cnpm.embrapa.br/ac/htm0/ac11_17.htm

Envira河沿岸部は開発が進んでいる様子。環境破壊なのでしょうかね?
Posted by neko at 2005年12月19日 00:29
ヒマでなきゃ発見できませんな。ははは
これらは20世紀初頭のゴム景気に起因する地名です。
当方もヒマなもので、ボリビアの20世紀初頭の歴史書をあさっております。ふめちさんもご存知のように、ボリビアのゴム王ニコラス・スアレスと錫王シモン・I・パティーニョは同世代の人物なんですね。スアレスはゴムが停滞していくなかで生涯を終え(1940年)、パティーニョは錫が国有化される前に生涯を終えました(1948年)。ボリビアを代表する企業家たちであり、ある意味では第二次世界大戦後の日本移住者がボリビアへ入植してくるきっかけかもしれません。
ところでオキナワ移住地ですが、1998年4月6日付き法令第1837号によって「オキナワ」という地名が決議されております。ボリビア国の法令によって正式に認定されているのもまれでしょう。
Posted by CAMBA at 2005年12月19日 08:46
地名でもうひとつ
サンタクルス市中央公園に隣接する床屋さんはなぜだか世界の地名を看板にかかげている。ベルリン、テキサス、アリゾナ、トウキョウ、シカゴ、ロンドンなどなど。これらは30年以上も営業している老舗です。
1980年代に、日本のODAによってビルビル国際空港やオスピタル・ハポネス(日本病院)が建設されました。この病院まえの通りはアベニダ・ハポン(ニッポン通り)といいます。この周辺には現地の人々がハポンとかトウキョウとかヨコハマなどの店舗をかまえております。ま、便乗で名前をつけているので別にいいのですが、コレヒオ・レプブリカ・デル・ハポンはいくらなんでもないでしょう。直訳すると「日本共和国学校」...
Posted by CAMBA at 2005年12月19日 09:05
takaさん&masaさん、

本当にびっくりしました。
ほかにも同じような地名、あるのかもしれませんね。

僕がいつも想うのは、この地方にやってきて、故郷に送金したり錦を飾ったりするという夢を果たせないまま密林に散った人たちの無念さです。(もちろん、少数ながら成功した人もいます。)
彼らの故郷では、時として、彼らに対する批判的な意見も聞かれます。
出稼ぎに行ったまままったく送金もせず、一方的に連絡を絶った、故郷を見捨てたんだってね。

人々の生きた証を残したくて、僕は歴史を語りつづけています。
それは多分、僕自身が世の中から忘れ去られることを恐れているからだと思います。
Posted by jumechi at 2005年12月19日 18:10
nekoさん、

ネット調査ありがとうございます♪
これらのサイトは、時間があるときにじっくり観てみます。
現地調査は、たぶん半世紀以内に、我輩が敢行する予定です(笑)
アマゾンの果てだろうと、地球の果てだろうと、俺は行くぞぉぉっっ!ゴーゴー

あさい市、行ったことありますよ!
たしか、ロンドリーナ近郊、世界最大のインスタントコーヒー工場がある辺りでしたよね。

アクレと言へば、自然保護活動家Chico Mendezや映画「Orfeu」のヒロインEuridesの出身地、僕にとっては楽園みたいなイメージなんですが、その環境も激しく破壊されているようですね。

この問題は日本でも多くの本で紹介されています。
ちなみに僕がアマゾンに最初に興味を持ったのは、Levi-Strausの『Tropiques Tristes(つづりあってるかな?邦題:悲しき熱帯)』を呼んだときでした。オススメの一冊です。
Posted by jumechi at 2005年12月19日 18:30
CAMBAさん、

そうなんです、ヒマでヒマでしょ~がないんです ^^
さらに、これでもかってほど歴史オタクなんです ^^;

そうそう、パティーニョなどの経済史も含め、ボリビアの歴史全体の中で移住史を考えなければいけないんですよね。
僕はこれまで自動車産業の発達や第一次世界大戦など世界的な流れの中で歴史を捉えてきましたが、ボリビア経済史や法令の変遷などは、まだまだ勉強不足です。
nekoさんの研究に期待してます♪

そうそう、床屋さんの名前、気になってたんですよ。
この業界は外国系住民が牛耳ってるのかなぁってね(笑)
Los PozosにもLibreria Japonみたいなのがありましたよね。
地名を便乗する心理というのも研究対象として面白いかも。
以前、日本製中古車に企業名なんかが入ってたことと通じるのでしょうか?
Posted by jumechi at 2005年12月19日 18:50
jumechiさん、こんにちは、TBありがとうございました。
アマゾン旅行の際にガイドをしてくださった方からうかがった、ブラジル移民の皆さんの生い立ちには、一種厳粛な気持ちになりました。笑顔で語ってくださった点が唯一ほっとしましたが。
こちらも、時々お邪魔させてくださいね。
Posted by Yuri at 2005年12月20日 06:12
結構々々、現地調査はふめち殿にお任せ...尤も半世紀後にアマゾンが残っているかですね。ここ50年にフランス相当の面積が伐採されているそうです。しかし、アクレ州は不完全ながら森林保護政策を実施しているのでまだ良い方でしょうね。

あさい市周辺は日系人がうじゃうじゃ居る地域でして、なんとも我輩の義兄のイノ○エ先生もこの辺りなのです。因みにろんどりーな市は鉄道敷設で来伯した英国人によって設立された町です(Londrina=London)。

英国のふめちが聞いたら泣いて喜ぶ名前でしょうね...(笑)
Posted by neko at 2005年12月20日 12:10
Yuriさん、

ご訪問ありがとうございます。
彼らの歴史を語る人に出会えて、本当に嬉しく思います。
こういったブログ上の交流が、歴史の継承に役立つといいですね♪
NY、いつか訪れてみたいです。
いろんな人に出会えるんでしょうね。
Posted by jumechi at 2005年12月21日 14:21
nekoさん、

あっ、そうですね、アマゾンがなくなる前に行かなきゃ(笑)
それにあのあたり、地名の入れ替わりが激しいですよね。
5年前の地図が使えなかったりしますもの。
コロニアみたいに川筋が変化するためでしょうか?

英国のふめち殿、ぜひお目にかかりたいですにゃ~ ^^

大統領選挙情報、ありがとうございます。
できれば今夜にでも、働くフリしながら記事を書きますね。
El Mundoはまだみてませんが、昨日のEl Deber紙に米国のブッシュ大統領がEvo氏の勝利を受け入れた旨の記事がありましたにゃ。
で~じや~。
Posted by jumechi at 2005年12月21日 14:31
アマゾンの記事面白いかったです、それに
皆さんのコメントがすごい!こちらも面白かったです、
ポッチっとして帰ります。
Posted by ごっとハンド at 2005年12月21日 16:09
ごっとハンドさん、

楽しんでいただけると嬉しいです。
みなさ~ん、ごっとハンドさんのブログもよろしく♪
日本の美しい町並みを楽しめますよ!!
Posted by jumechi at 2005年12月21日 21:52
 
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