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jumechi
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日本生まれの日本育ちなのに何故かよく「日本語がお上手ですね♪」とほめられる。 日本では南西諸島以外の場所に住んだことがないが、サンタクルス市街の地理にはタクシーの運転手なみに詳しい。
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覚悟

2006年11月21日

「ボリビアで県人会が移民調査へ 100年前ゴム栽培で渡る」
今日の琉球新報朝刊で見つけた記事。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-19066-storytopic-1.html
ボリビア沖縄県人会が奥アマゾンの県系人の調査に取りかかるらしい。

私はもう歴史家を引退したつもりだった。
でもこんな話を聞くと、血が勝手に騒ぎだすのだ。

もしかすると、また仕事のオファーがあるのだろうか?
可能性は十分にある。
実績や経験では一流の研究者にかなわないが、ボリビア、しかも奥アマゾンの日系社会に限って言えば、私は日本で5本の指に入るはず。

ただ、こればかりは日系社会のリーダーたちが決めること。
誰が音頭をとるかによって決まるだろう。

前回みたいに金銭トラブルになることだけは、ごめんだ。
俺はボランティアなんかじゃない。
そんなことをする経済力もない。
前回体調を崩した点は反省しているが、それでも十分に働けるだけの準備はできていた。
もし呼んでくれるならありがたいことだが、その代わりJICA派遣のボランティアたちとは違う、一流のプロとして扱ってもらう。
(JICAボランティアの名誉のために付け加えると、彼らの中にもプロとしての能力と意識を持った者は数多くいる。)

今回は声がかからない可能性だって、十分にある。
別にそれでもいい。
日系社会全体が自らの手で歴史を語り始めようとしているだけでも嬉しいし、新しい研究者が台頭するなら、それも本望だ。
それに何より、あそこにはnekoさん&CAMBAさんのご家族をはじめ、hirobo兄さんやteru兄さんなど、各分野で一流の活躍をするブレインがそろっているのだ。

今回の動きに、私は大きな注目と期待を寄せている。
もし彼らが本気で大事業を成し遂げるつもりなら、私はやっと手に入りかけた安定した生活を捨ててでも、またあの国に舞い戻るつもりだ。
ボリビア日系社会の歴史構築のためなら人生をかける覚悟はできてるし、時には命がけとなる奥地調査だっていつでも出発する用意はできている。

だから日系社会のリーダーたちよ、あなたたちの覚悟が整ったら、もう一度私と手を組まないか?

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ブラジルが燃えた日

2006年07月08日

ブラジル在住の猫野滋麿CNN特派員より、ワールドカップに関するニュースが届けられた。
(nekoさん、ごめんなさい。ネタは新鮮なうちに、と約束したのに長期熟成しちゃったよ。)

6月13日(火)はブラジルでは祝祭日でも休日でも無くて、ただの週日だったのですが、Neko在住のS市の中心街は16:00の時点で商店街はシャッターを閉めてこのように閑散としていました。


なぜかとゆーたら...? そうなのです。わーるどかっぷ・2006、ブラジル x クロアチア戦だったのです。


チョーナイカイでお金を出し合ってこのようにきれいに飾り付け...


店仕舞いした後、店長、店員全員お揃いのユニフォームで観戦...


この時期、バー、喫茶店はボロ儲け...この後ゴールが入って爆竹が鳴り響き、町中が空爆下のバグダッド並みの騒乱でした。


ショーウィンドウも愛国主義丸出し...


愛国色ベッドはいかが...?


ところでCNNってご存知ですか?
あの超大手の報道機関ではないですよ。
現代の南米社会を鋭く分析するCat News Networkのことなんです ^^



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ホテル コパカバーナの思い出

2006年03月09日


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久しぶりにボリビア時代のCDを開いたら、懐かしい写真が出てきました。
サンタクルス市の中心部にある「ホテル コパカバーナ」、私が週末のプチ旅行に愛用した宿です。
その頃私が働いていた村は、サンタクルスから100キロほど離れた農村でした。
地平線のかなたまで畑が広がっているし、住民もみんな暖かい人たちで素敵な村なんですが、遊び盛りの20代の少年にとって、何ヶ月も田舎で暮らすのはやっぱりストレスがたまります。
そのため最低でも2ヶ月に1回、できたら月に2、3回は週末のプチ旅行をしていました。

小奇麗なホテルに泊まって世界中から集まってくる観光客と友達になり、いろいろな国の料理を食べ歩き昼間からワインがぶ飲みの1泊2日の旅。
その間全く日本語に触れないのも、結構ストレス発散になります。

通りから見えるのはホテルの玄関のみで、そこから奥に入るとパティオ(中庭)のレストランにつながります。
そのパティオを見下ろす壁に沿って客室があります。
とても開放的な空間なので、客の心も開放的になり、窓から顔を出して向かいや隣の部屋の人とお話ができます。
盛り上がってきたら「そっちにワイン持って遊びにいっていい?」となりますニコニコ

今になって思えばとても優雅な生活です。
でもあの頃は月給500米ドルでこのような遊びを月に数回やって、休暇には一週間くらいのバス旅行もやって、それでもきちんと貯金できていたんです。
あぁ、ボリビアが恋しいよ、、、日本社会に完全復帰するにはもう少し時間が必要かも。。。  

国境の想い出

2006年03月02日


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これくらいのサイズの川を見ると、あの国境を思い出す。
見比べると、似ても似つかないのだが。

あそこには橋は架かっておらず、人々は渡し舟で行き来していた。
渡し賃を持たぬ子供たちは、泳いで渡っていた。
両岸は護岸されておらず、鬱蒼とした森に覆われていた。
その川と森を挟んで、名前の違う2つの町があった。

こちら側ではポルトガル語混じりのスペイン語が、あちら側ではスペイン語混じりのポルトガル語が話されていた。
通貨は両方とも同じく使えたが、品物はほとんどブラジル製だった。
テレビやラジオの放送もブラジルのものが多かった。
そう、そこはボリビアにありながらアマゾンという緑の大海によって他の地域と隔絶していたのだ。

今から1世紀前、あの街の周辺に日本人労働者が押し寄せた。
彼らは日本各地の主に貧しい農村地帯の出身で、ペルー太平洋岸のサトウキビ農園に契約労働に来ていた。
3、4年ほど働いて金を貯め、故郷に錦を飾るはずだった。
妻も子も残し、たった一人で命懸けの旅に出てきた。
ところが農園から1歩も出られない環境での過酷な労働、疫病の蔓延、慣れない環境の中で疲労は蓄積し、生活物資は雇用主から不法に高い、あまりにも高い金額で貸し付けられた。
例え前宣伝どおり金を稼げたものでさえも、返済で無一文になっていった。
次々に仲間が倒れていき、残った者たちは命懸けの脱走を決意した。
太平洋岸の砂漠地帯を、多くの犠牲者を出しながら走り続け、数百キロ先のリマの街に転がり込んだ。
そこで聞いたアマゾンの噂、今アマゾンに行けばゴム液採取労働者になれる、今なら一攫千金も夢ではない。
街にいると安全だが、一生かかっても故郷に錦を飾れないかもしれない、男たちは決意した。
徒歩で標高5000メートル余のアンデスを越え、川を見つけると筏で下り、噂だけを頼りにアマゾンの森に散っていった…

そんな彼らが各地で採取したゴムの集積地だったのがあの街だ。
当時この一帯で流通していた貨幣は、主に英ポンド金貨だったという。
欧米各国から商人が集まって巨万の富を本国に持ち帰り、それがタイヤ産業となって自動車産業の発達を促進した。
今日我々の生活に欠かせない存在となっている自動車の、ルーツの1つがそこにあった。

ちょうどこれくらいのサイズの川、いや、もう少し幅が狭かっただろうか?
どこにでもありそうな、特に印象的でもないこの川を見るたびに、あの国境の想い出が甦る。

視界の最も奥の方で川が曲がり、そこに青いトタンの小さな建物が数軒見えた。
そこにほんの少し、あの街の面影が見えた。  
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私の仕事

2006年02月19日


写真提供:猫野滋麿氏

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愛-House南米支局の猫野滋麿特派員より速報が入りました。
昨年11月27日の記事で紹介したボリビアのコロニア・オキナワ入植50周年記念誌がついに発刊されたそうです。
私はこの企画の初期段階から携わり、本来は発刊まで立ち会う予定だったのですが、途中で病気になりリタイアしました。
私にとってはボリビア日系社会史の礎を築いた猫野父麿氏への恩返しとして特にこだわっていたプロジェクトだっただけに、感無量です。

本創りに関して私がもっとも大切にしていることは、どのような人に読んでほしいのか、どのように利用してほしいのかといった編集目的を明確にすることです。(おそらく、ほとんどの編集者がこれに最もこだわっていると思います。)
自分たちの思い出として創るものと社会一般にアピールするためのもの、ジャーナリストや研究者向けに史料として編集するものではスタイルも内容も全く異なるからです。
今回のプロジェクトは、各メンバーのこだわりが強すぎて目的を統一するのが困難でした。
しかしポジティブに解釈すれば、全員やる気に満ちていたということで大変喜ばしいことでもあります。
途中でリタイアしたときはとても残念に思いましたが、今考えると私が抜けることで地元の方の参加率が増え、皆さんにより満足していただけるバランスになったのかもしれません。
この記念誌ではこれまでコロニアで発行された他の史料からもれていた情報も多く掲載されていると聞きました。
とても楽しみです。

編集チームの皆様、本当にお疲れさま、そしてありがとうございました。
途中でお亡くなりになった2名の先輩方、大変お世話になりました。
先輩方のご遺志は我々が確かに受け継ぎましたので、どうか、安らかにお眠りください。
最後に編集にご協力いただいた全ての皆様、生意気で口うるさい発言や細かい点への異様なまでのこだわりに不愉快な思いをなさった方も多いと存じます。
コロニアへの、そして日系社会への愛着の表れということで許していただけると幸いです。  
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ボリビア日系社会の偉人、河合辰夫氏

2006年01月19日


写真提供:猫野滋麿氏

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昨年の暮れ、ボリビアの首都ラパス市において河合辰夫氏が亡くなられた。享年82歳。

河合氏は戦前ペルーの日系社会に生まれ、1951年にボリビアに移住した。
1954年に始まった琉球政府計画移住、翌55年に始まった日本政府計画移住によってボリビアに渡航した日本人を現地で世話し、今日の日系社会の基礎を築いた。
またトヨタ自動車の現地法人「トヨタボリビアーナ」の経営によって築いた財産を惜しみなく日系社会に無償提供し、その経済発展に大きく貢献した。
現在のボリビア日系社会で使われている非常に高度な日本語は、彼が購入、提供した日本語の書籍やビデオテープによるところが大きいといわれている。
またボリビア経済界では彼の会社で修行を積んだ者が多く活躍している。
私が初めてボリビアに住みはじめた1998年には既に現役を引退されていたため直接お会いしたことはないが、日系社会のリーダーたちから、父親のような存在だとよく聞かされた。

写真はポロンゴ村(聞き覚えはあるが場所を思い出せない)で現在も乗合バスとして活躍中のトヨタ・ランドクルーザー40系。
nekoさんこと猫野滋麿氏から「我々の世代のせめてもの弔意を示すべく、以下の画像を掲載して頂きますれば幸いに存じます」というメッセージとともにご提供いただいた。

合掌。  
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ボリビア大統領選速報!

2005年12月21日


写真提供:政治部neko解説員

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CNNより緊急ニュースが飛び込んだ。
CNNといっても、あの巨大放送ネットではない。
我らがCat News Networkなのだ!!

先日行われたボリビア大統領の開票結果、エボ・モラレス氏が最多得票を得たという内容だった。
モラレス氏とは、コカ(強壮剤として利用される一方、コカインの原料にもなる植物)栽培業者のリーダーとして活躍し、主に低所得者層から支持を集めている。

地元のEl Mundo紙はモラレス氏が財政緊縮と官僚機構の改革を宣言したと報じている。
El Deber紙は米国のブッシュ大統領がモラレス政権を承認したという記事と新大統領が前大統領Gonzalo Sámchez de Lozada氏を法廷に引き渡すという記事を掲載している。(詳細不明)

何だか大変なことが起きそうな気配であるが、政治に疎いワタクシは何が何だかよく解らんのであぁる。
そういうわけなので、政治部のneko解説員および社会部CAMBA解説員にコメントをお願いしたい。

写真は、サンタクルス市環状2号線最北端にあるキリスト像。
サンタクルス州の自治権拡大を求める幕が張られているが、これもいったいどうなることやら。。。  

奥アマゾンに日本が出現!

2005年12月18日


http://www.mapas-brasil.com/pdf/acre.pdf


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12月3日の記事で奥アマゾンに東京、横浜、日本などの地名があることを書きました。
これは外務省が中心になって編さんした本によって、35年も前に日本国内で発表された事実です。
またこれらの地名が日本人労働者の足跡を示すものであることも、既に多くの研究で明らかになっています。
ところがぁぁ、彼らの足跡である可能性を持つ地名はそれだけじゃなかったんです!

不肖jumechi、今から1時間ほど前に発見しちゃいました(^_^)v
日本語で書かれたこのテーマに関する文献はほとんど読みつくしているので、日本語で発表されるのはこれが初めてかもしれません。
(K博士は既にご存知かなぁ?ジャーナリストmitaさんはアマゾン突撃がお得意だから知ってる可能性もあるにゃ)

場所はブラジルのアクレ州、ボリビア共和国パンド県の北に隣接する地域です。
Novo Japão(新日本)と書かれています。
日本人の出稼ぎ労働と関係があるのかはまだ分かりませんが、20世紀初頭この地域に入った日本人がゴム液採取労働に就いたことや現在にいたるまでこの地域が天然ゴムの産地であることから、可能性は十分にあると思われます。
う~~っ!旅&研究の禁断症状が出てきたぞ、、、
このあたりを現地調査する物好き日本人なんてほとんどいないからな~。
nekoさんはポルトガル語がお上手だから、文献調査とか、ネット調査とか、いかがですかね、ね、ね?  

ラテン的日本語

2005年12月07日



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サンタクルスにすんでいた頃、日本語教師の友人から聴いた話。
あるとき彼が行った日本語の試験に次のような問題が出た。

テストの終了まで、あと5分しかありません。だから( )

( )内に入れる言葉としてふさわしいのは、次のどれでしょうか。

1.急がないでください。 2.急いでください。 3.急ぎません。

いつも成績の良い生徒ほど1か3を選択したそうだ。
翌日の授業で、「どうしてその答を選んだの?」と聞いたら、「そういう時はあきらめるほうが疲れないし、賢い選択だ」と言う答が返ってきた。
そのとき初めて、設問に問題があると気付いたのだった。

そういえば、私の本を出版した会社に、片言の日本語を話す技術者がいた。
この男、日本語を話す相手がいるのが嬉しいらしく、仕事が上手くいけば「オシゴト、オッケー!おすまし」、調子が悪いときは「オシゴト、ダメダメガ-ン」と精一杯の日本語で報告してくれる。
ところがある時、彼がうっかりミスで印刷方法を間違え、約3万円の無駄を出してしまった。
私の1ヶ月分、彼にとっては2か月分の給料と同額だ。
私は「だから印刷前に私に確認させろと言ったじゃないか怒り」と彼を責め、この3万円は彼自身か出版社が負担するように求めた。
そのときの彼の言い訳がこれ、「jumechiサン、アナタ、ワタシ、トモダチOK♪ニコニコ
私にこみ上げてきたのは、怒りではなく笑いだった。

試験の回答者も出版社勤めの彼も、文法的には間違えていない。
でも何となくボリビア的な日本語解釈だな、と思う。
因みに、ボリビア人は一般におおらかさを好む傾向があるが、決して勤勉さに欠けているわけではないことを付記しておく ^^; フォローになったかな?

写真はサンタクルス市街地の風景、私はこの大通りから1ブロック左の通りに住んでいた。  

ジャングルの奥の東京、横浜

2005年12月03日


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大学卒業直後の1998年、最初に就職した場所が南米のボリビア共和国でした。
それから現在に至るまで、仕事や研究でボリビアと関わっています。
日本ではあまり知られていない国ですが、私にとっては20代の情熱を全て注ぎ込んだ青春の舞台です。
これから時々ボリビア・オタクな話をしますが、よろしかったらお付き合いください。

さて、今日のテーマは「ジャングルの中の東京、横浜」。いきなりディープな話題です^^;

http://www.forth.go.jp/tourist/worldinfo/worldmap/h09_usas.html
それはボリビア最北部のパンド県という地方にあります。パンド県はブラジルのアクレ州およびペルーのマドレ・デ・ディオス県と国境を接しています。アマゾン水系の川が多数流れアマゾン・ゴム景気に湧いた地域の最深部にあたることから、私の研究仲間の間では「奥アマゾン」と呼ばれています。

20世紀のはじめごろ、この地域は天然ゴムの生産で空前の好景気を迎えました。自動車産業の発達で世界のゴム需要が爆発的に増加したからです。イギリスやアメリカなどの企業が進出し、世界中から一攫千金を狙う出稼ぎ労働者が集まりました。まあ、カリフォルニアにおけるゴールドラッシュみたいなもんです。そして驚いたことに、世界から集まった労働者の中で最も多数を占めたのが、我らがニッポン人だったのです。

日本人労働者の子孫は今でもこの地域に多くすんでいます。しかし日本語を話す者はほとんどいません。また混血がすすんでいるため顔立ちも日本人離れしている人が多く、見た目だけで日系人と判断するのは困難です。私の1999年の調査では、県都コビハ市の住民の5.4パーセントが明らかに日本由来と判断できる姓を名乗っていました。もしかしたら、という人を含めると6.5パーセントに達します。

ジャングルの奥地に日本人労働者が残した足跡を、現在の地名に見ることができます。

http://encarta.msn.com/encnet/features/MapCenter/map.aspx
わかりますか?地図の上のほうにJapon(日本)という地名が見えますね。左側にはTokio(東京)、下のほうにはYokohama(横浜)があります。真ん中のMukdenは中国の奉天を指しているといわれ、日露戦争で日本軍に従軍した兵士が戦後ここに移住したという説があります。

私がYokohamaのもっと南のジャングルで出会った青年は、kakazu(嘉数)さんでした。その近所にはMiyata(宮田)さんやMukai(向井)さんが住んでいるという噂も聞きました。本当にビックリです。
でも私がこの類の話を始めると止まらなくなるので、続きは別の機会にしますね。  

コロニア・オキナワ入植50周年記念誌

2005年11月27日


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ボリビアに住むかつての仕事仲間から、嬉しい便りをいただきました。
当時私が編集に参加していた本が、まもなく出版されるというのです。

スペイン語でコロニア・オキナワ(Colonia Okinawa)、日本語でオキナワ移住地と呼ばれる農村の入植50周年記念誌です。
沖縄の地方紙に時々記事が載るのでご存知の方もいると思いますが、第二次大戦後、琉球政府の集団移住計画によって沖縄の人々が密林を開拓して作った村です。

私はこの本が完成するまで編集チームに参加する予定だったのですが、途中で病気になり帰国してしまいました。
その後作業が遅れ気味という噂を聞き胸が痛む思いをしていただけに、約1年ぶりに心が晴れました晴れ


これは私が初めて編集に参加した本。


こちらは参加未遂に終わったアルゼンチンの歴史書