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日本生まれの日本育ちなのに何故かよく「日本語がお上手ですね♪」とほめられる。
日本では南西諸島以外の場所に住んだことがないが、サンタクルス市街の地理にはタクシーの運転手なみに詳しい。

ボリビア日系社会の偉人、河合辰夫氏

2006年01月19日

ボリビア日系社会の偉人、河合辰夫氏

写真提供:猫野滋麿氏
ボリビア日系社会の偉人、河合辰夫氏
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昨年の暮れ、ボリビアの首都ラパス市において河合辰夫氏が亡くなられた。享年82歳。

河合氏は戦前ペルーの日系社会に生まれ、1951年にボリビアに移住した。
1954年に始まった琉球政府計画移住、翌55年に始まった日本政府計画移住によってボリビアに渡航した日本人を現地で世話し、今日の日系社会の基礎を築いた。
またトヨタ自動車の現地法人「トヨタボリビアーナ」の経営によって築いた財産を惜しみなく日系社会に無償提供し、その経済発展に大きく貢献した。
現在のボリビア日系社会で使われている非常に高度な日本語は、彼が購入、提供した日本語の書籍やビデオテープによるところが大きいといわれている。
またボリビア経済界では彼の会社で修行を積んだ者が多く活躍している。
私が初めてボリビアに住みはじめた1998年には既に現役を引退されていたため直接お会いしたことはないが、日系社会のリーダーたちから、父親のような存在だとよく聞かされた。

写真はポロンゴ村(聞き覚えはあるが場所を思い出せない)で現在も乗合バスとして活躍中のトヨタ・ランドクルーザー40系。
nekoさんこと猫野滋麿氏から「我々の世代のせめてもの弔意を示すべく、以下の画像を掲載して頂きますれば幸いに存じます」というメッセージとともにご提供いただいた。

合掌。

追記 猫野様、河合氏については不勉強な部分があまりにも多く、掲載が大変遅れました。申し訳ありません。


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この記事へのコメント
どうも、ふめち様。 写真を掲載して戴き、感謝申し上げます。

ボリビアで我々の世代の日系人が曲がりなりにも日本語を解するのは
河合氏の献身的なご協力無くしては不可能だったことでしょう(我輩は
サンタクルス市日語学校小4中退である)。

我々は氏の提供された書籍と特にビデオテープを文字通りむさぼり見たといっても過言ではありません。「この紋所が目に入らぬか...」もその中の一つにあたります。

トヨタ社が作った乗用車のクラウンが米国で余りにも不評だったので、前後に開発されたランドクルーザーはトヨタが初めて国外輸出に成功した自動車といわれており、そして国外への市場を広げていくトヨタ自動車の路をボリビアへ開いたのが河合氏です。1960年代の写真を見るとあらゆるところにこの40系が出てきます。

ランドクルーザーの40系は1980年代にモデルチェンジされ60(?)系になりました(ブラジルトヨタでも2001年に製造中止)。

ちょうど河合氏が現役を退いた頃と一致しますが、当地ではまだまだ頻繁に見られる車種であります。

トヨタ40系は河合氏のスピリット共々ボリビアでは健在なのである。


因みにポロンゴ(Porongo)村はサンタクルス市より西へ17kmほど離れたところにあり、タイムスリップを起こしたかと思うほど閑静な村落でして、今週末(20/01)は名産のAchachairu(アチャチャイルー・トロピカルフルーツの一種)祭りが行われます(義兄のイ○ウエ医師は血が騒ぐ様子...笑)。

途中ピライー河を渡るので乗り物は写真のようなジープの方が無難ですね。
Posted by neko at 2006年01月19日 22:55
nekoさん、

詳しい解説をありがとうございます。
いつか、日系社会の人物伝などもまとめたいですね。

昨日のEl Mundo紙にAchachairuが何とかという記事が載っていましたが、そのことだったんですね。
Posted by jumechi at 2006年01月20日 21:59
河合さんは、戦前ペルーでコ゜ム会社を経営されていて、日本庭園をもっていらしたと、亡き母から聞きました。
奥さまは大変スペイン語が上手な方だったそうです。
リマで母が私をみごもったとき、流産をしかけたそうです。
言葉は通じない、知っている医者はいないであきらめかけた時、河合さんの奥様が偶然遊びにこられて、病院へ連れて行ってくれたとのことです。
おかげ様で、私は今を生きています。
母が生きていた頃、お礼を言おうと思いずいぶんネットを駆使して探しましたが、どうしても連絡がとれませんでした。
もし、お知り合いの方がおられましたら、私からのお礼をご遺族に伝えください。
Posted by 安東延幸 at 2009年08月28日 23:20
ボリビアは日本人移住110周年を迎えました。この歴史を戦前と戦後に分けるならば、戦後の最大の功労者に河合ご夫妻を挙げても異存はないかと思います。
ボリビア日系社会のために貢献された河合久江(ひさえ)さんは2008年8月初頭、ラパス市でご逝去されました。サンタクルス市に訃報が届いたのは5日後のことでした。
あれから一周忌を迎えました。河合ご夫妻のご冥福をお祈りするしだいです。

2009年8月28日
ボリビア国サンタクルス市 カンバ
Posted by カンバ at 2009年08月29日 08:09
 
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