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日本生まれの日本育ちなのに何故かよく「日本語がお上手ですね♪」とほめられる。
日本では南西諸島以外の場所に住んだことがないが、サンタクルス市街の地理にはタクシーの運転手なみに詳しい。

国境の想い出

2006年03月02日

国境の想い出

国境の想い出皆さんからの愛の1クリックが活力源です。よろしくね♪

これくらいのサイズの川を見ると、あの国境を思い出す。
見比べると、似ても似つかないのだが。

あそこには橋は架かっておらず、人々は渡し舟で行き来していた。
渡し賃を持たぬ子供たちは、泳いで渡っていた。
両岸は護岸されておらず、鬱蒼とした森に覆われていた。
その川と森を挟んで、名前の違う2つの町があった。

こちら側ではポルトガル語混じりのスペイン語が、あちら側ではスペイン語混じりのポルトガル語が話されていた。
通貨は両方とも同じく使えたが、品物はほとんどブラジル製だった。
テレビやラジオの放送もブラジルのものが多かった。
そう、そこはボリビアにありながらアマゾンという緑の大海によって他の地域と隔絶していたのだ。

今から1世紀前、あの街の周辺に日本人労働者が押し寄せた。
彼らは日本各地の主に貧しい農村地帯の出身で、ペルー太平洋岸のサトウキビ農園に契約労働に来ていた。
3、4年ほど働いて金を貯め、故郷に錦を飾るはずだった。
妻も子も残し、たった一人で命懸けの旅に出てきた。
ところが農園から1歩も出られない環境での過酷な労働、疫病の蔓延、慣れない環境の中で疲労は蓄積し、生活物資は雇用主から不法に高い、あまりにも高い金額で貸し付けられた。
例え前宣伝どおり金を稼げたものでさえも、返済で無一文になっていった。
次々に仲間が倒れていき、残った者たちは命懸けの脱走を決意した。
太平洋岸の砂漠地帯を、多くの犠牲者を出しながら走り続け、数百キロ先のリマの街に転がり込んだ。
そこで聞いたアマゾンの噂、今アマゾンに行けばゴム液採取労働者になれる、今なら一攫千金も夢ではない。
街にいると安全だが、一生かかっても故郷に錦を飾れないかもしれない、男たちは決意した。
徒歩で標高5000メートル余のアンデスを越え、川を見つけると筏で下り、噂だけを頼りにアマゾンの森に散っていった…

そんな彼らが各地で採取したゴムの集積地だったのがあの街だ。
当時この一帯で流通していた貨幣は、主に英ポンド金貨だったという。
欧米各国から商人が集まって巨万の富を本国に持ち帰り、それがタイヤ産業となって自動車産業の発達を促進した。
今日我々の生活に欠かせない存在となっている自動車の、ルーツの1つがそこにあった。

ちょうどこれくらいのサイズの川、いや、もう少し幅が狭かっただろうか?
どこにでもありそうな、特に印象的でもないこの川を見るたびに、あの国境の想い出が甦る。
国境の想い出

視界の最も奥の方で川が曲がり、そこに青いトタンの小さな建物が数軒見えた。
そこにほんの少し、あの街の面影が見えた。

追記 写真は名護市西部を流れる屋部川。宇茂佐集落と屋部集落の間を流れる集落境の川である^^


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この記事へのコメント
ホントに外国かと思ったです。
ヤンバルね~(^▽^ケケケ
真剣に読んで損した気分です(*^-゜)⌒☆
読んで逃げるわけにはいかんからポチっと!rankclickへ
Posted by shima1228 at 2006年03月02日 23:48
shima1228さん、

真剣に読んでくれてありがとです^^
東南アジアにハマった人は牧志公設市場に懐かしさを感じるといいますね。
撮影に疲れはじめたら、昔撮った本物の写真も使いますね。
Posted by jumechi at 2006年03月03日 21:16
で...?

国境の町とは、コ○ハ...?、グアヤ○メリン...?、
プエルト・キ○ロ...? いずれも暑いところです。

我輩は一番最後のところしか知りません...向こう側にビル群、
こちら側にはバラック群、国力の差を感じさせてくれる町です。
Posted by neko at 2006年03月04日 21:57
nekoさん、

コ○ハです。あちら側はBrasileiaという街です。
屋部川とア○レ川を強引に重ね合わせてしまいました^^
屋部川はここから500メートルほど下流で東シナ海に注ぎますが、ア○レ川は合流を重ねて大河アマゾン川に繋がります。
このスケールの差は、比較になりません(爆)
あちら側は多少道がきれいで、料理が比較的おいしくて、ほんの少し国力の差を感じましたが、どちらもかわいらしい街でしたよ。
Posted by jumechi at 2006年03月05日 21:30
そんな歴史があったんですね。
日本国内で消化しきれなくなった貧富の差・ひずみから,多くの人たちが国外へと流れ出ていく...
先の大戦にしても,日本国内の貧富のひずみを国外へ出て行きそれを解消しようとしたという側面もあるような気がします。
こういった先達たちの存在があったからこそ,今の自分たちがあると思うと,感謝というか,ありがたいというか,上手く言えないけれど色んな思いを感じます。

また一つ世界がひろがりました。
ポチッとありがとうございます。
Posted by vagabond67 at 2006年03月05日 21:34
vagabond67さん、

気付くのが遅くなってごめんなさい。
そうですね、いつの時代も、貧しいものほど過酷な人生を強いられ、誰の記憶にも残らずに死んでいくことが多いようです。
そんな名もなき小さなヒーローたちの、失われた歴史を取り戻すことが私の人生の目標です。
Posted by jumechi at 2006年03月18日 18:19
 
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