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jumechi
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日本生まれの日本育ちなのに何故かよく「日本語がお上手ですね♪」とほめられる。
日本では南西諸島以外の場所に住んだことがないが、サンタクルス市街の地理にはタクシーの運転手なみに詳しい。

贈るということ

2006年05月23日

贈るということ

あかの他人どうしが互いにモノを贈りあうということ、それはヒトだけに見られるコミュニケーションの一つ。
レヴィ=ストロースが言うには、贈与交換はメッセージの交換(言語活動)、ヒトの交換(婚姻)と並ぶヒトのコミュニケーション手段である。

いわゆる「未開社会」では、ヒトは他人にモノを贈ることと、他人から贈られたモノによって生計を立てることが義務付けられているという。
贈られた者は心理的な負債感を抱き、反対給付(返礼)をしないと気が済まなくなる。
(ただし贈られた相手に直接返礼するとは限らない。第三者にモノを贈り、その第三者がまた誰かに贈り、めぐりめぐって最初のヒトに戻ってくることが多い。)
これは人類の長い歴史の中で、友好関係を築き平和を獲得するために刷り込まれてきた真理。
「未開社会」の中では、贈られっぱなしの者、富を独占しようとするものは社会から孤立し、やがて滅亡する。
社会の中で最も尊敬され、敬われるのは、気前がよく財を蓄積しないものと決まっている。
贈るということ


「現代社会」においても、他人にお金を与え、換わりにモノやサービスを受け取るという点では交換の原理は変わっていない。
「未開社会」と違うのは、財を蓄積した人間が成功者と呼ばれ、尊敬を集めるようになったこと。
「未開社会」が大切にしてきたモノを分かち合うという価値観が「現代社会」ではそれほど意識されなくなってきている。
一方で成功者と呼ばれる人たちが豊かな生活を享受しているにもかかわらず孤独感の中で大きなストレスを抱えていたり、それによって問題行動を起こすニュースを聞いたりすると、分かち合いを大切にする価値観は今でもヒトにとって大切なものなんじゃないかと思えてくる。

話はずれるけど、この価値観を個人レベルから国家レベルに置き換えて考えてみた。
一部の国家だけに富が集中しすぎている現在の状態で富める国がこの格差を無視したまま世界平和を唱えても、その実現は難しいんじゃないだろうか。
国どうしがもっと対等な立場でモノを贈りあい、友好を深めてほしいものだ。

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追記  このテーマについてはもっといろいろ語ってみたかったのだが、今日はうまく言葉が出てこなかった。ショッピングセンター内のお店から書き込んでいるんだけど、とても騒々しくてね。。。静かな環境がほしいよ。


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