合掌
2006年03月28日

わが街の偉大なリーダーが昨夜、62年の生涯を終えた。
個人的には、助役時代からお世話になった。
当時学生だった私は、外国からの留学生から相談を受けると、よく彼に会いにいった。
彼は職務ではなく個人的に、彼らの保証人を快諾してくれた。
市長になってからは米軍基地の問題でさまざまな方面から重圧を受けながらも、政府に対して一歩も引くことなく、交渉し続けた。
この問題に関して逆の立場に立った多くの市民や政治家も、もともとは名護市発展のために共に汗を流した仲間、心の中では互いに支えあっていた。
その仲間たちが記者会見で、口をそろえて「立派な政治家だった」と言い、別れを惜しんだ。
彼が市政方針の第一に挙げていた「小さな世界都市」構想は、新しい市長に引き継がれた。
私も市民の一人として、お世話になった者の一人として、そして愛-Houseスタッフの一員として、自分の周囲に小さな世界都市を築くべく力を尽くしていこう。
彼の周囲にいた人は、みんな気付いていたと思う。
彼が命を削りながら仕事に打ち込んでいたことに。
私はあなたのことを一生忘れないでしょう。
ありがとうございました。
お世話になりました。
どうか、どうか、安らかにお眠りください。
Posted by jumechi at 22:28│Comments(3)
│沖縄の話
この記事へのコメント
ご心配をおかけしましたが,ようやく復活いたしました。
奄美大島でしかも3月末になってインフルエンザにかかるとは完璧に想定外でした。
来年は,ワクチンを打とうと固く決意しました(-_-;)
岸本さんの存在は,名護市民に止まらず,岸本さんと何らかの形で触れ合った人たちにとって,さぞ大きな存在だったと思われます。
岸本さんの訃報を告げるプレス記事の中で,「長男洋平さんは『みんな仲良くよ』との岸本さんの最期の言葉を明かした」との一文が非常に印象的でした。
宜野湾市から名護市辺野古沖への基地移設を受け入れた背景の一つに,そういった岸本さんの世界観があったのでしょうね。
まだまだ世界では戦争がなくなりそうにありませんが,岸本さんの遺志の幾ばくかでも継承していきたいものですね。
合掌
奄美大島でしかも3月末になってインフルエンザにかかるとは完璧に想定外でした。
来年は,ワクチンを打とうと固く決意しました(-_-;)
岸本さんの存在は,名護市民に止まらず,岸本さんと何らかの形で触れ合った人たちにとって,さぞ大きな存在だったと思われます。
岸本さんの訃報を告げるプレス記事の中で,「長男洋平さんは『みんな仲良くよ』との岸本さんの最期の言葉を明かした」との一文が非常に印象的でした。
宜野湾市から名護市辺野古沖への基地移設を受け入れた背景の一つに,そういった岸本さんの世界観があったのでしょうね。
まだまだ世界では戦争がなくなりそうにありませんが,岸本さんの遺志の幾ばくかでも継承していきたいものですね。
合掌
Posted by vagabond67 at 2006年04月03日 00:59
最近、我が家の犬と猫の仲が改善されておりまして、一緒にエサを食したり、寒い時は仲良くかたまって寝ちょります。
動物に出来ることがなーんで人間に出来ないのだろうか...とつくづく思っておりましたが、そのような理想を実践されていた方が居られたのですね。
合掌...
動物に出来ることがなーんで人間に出来ないのだろうか...とつくづく思っておりましたが、そのような理想を実践されていた方が居られたのですね。
合掌...
Posted by neko at 2006年04月03日 09:27
vagabond67さん、
「みんな仲良く」本当に彼らしい言葉だと思いました。
さまざまな事情から基地を受け入れましたが、いつも世界平和について悩みつづけた方でした。
だから、反対派の人々からも惜しまれつつ、この世を去りました。
彼の遺志を、継承したいですね。
温かいメッセージをありがとうございました。
「みんな仲良く」本当に彼らしい言葉だと思いました。
さまざまな事情から基地を受け入れましたが、いつも世界平和について悩みつづけた方でした。
だから、反対派の人々からも惜しまれつつ、この世を去りました。
彼の遺志を、継承したいですね。
温かいメッセージをありがとうございました。
Posted by jumechi at 2006年04月06日 21:29