頑張りすぎて疲れた人のために

jumechi

2006年04月10日 20:33


こんにちは。
昨日の記事の最後の部分で「頑張る」ということに少し触れましたね。
そこで久しぶりに、私がかつてお世話になった詩を思い出しました。
初めてこの詩に出会ったとき、私はとても苦しんでいて、これらの言葉を受け止めることができませんでした。
私が立ち直って数ヶ月後、今度は大切な友人が心に悩みを抱え、体調まで崩して大学院をお休みすることになりました。
そのとき本屋さんに走って行き、その本を買ったのです。

少し長いですが、もし頑張りすぎて疲れている人がいたら、少しでも呼んでみてください。
なおここに掲載した文は、私が原文の言葉を置き書き換えた部分が数ヶ所あります。
私なりの感性で、疲れている人にも読みやすくしたつもりです。
どうかお許しください。



「黙って、あなたの声がよく聞こえるように」それは私が好きな、ある有名な人の言葉。

「黙って、あなたの心がよく聞こえるように」これはこの手紙のテーマ。

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困ったとき、相談相手がいるにこしたことはない。

だけど、人は困れば困るほど、そう簡単に「相談」はできないもの。

それはなぜ……危険だから?それもある。きちんと理解してくれるだろうか?そんな心配もある。だけど本当は、困れば困るほど、他人に話せなくなってしまうのが実情……。そんな時、自分が自分の心に上手に相談すること……そんな手伝いを私はしたい。だから、この手紙はそんな人のために……。

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私のような仕事をしていると、一見とても明るそうなのに、話を聞けば聞く程どうしようもない重い問題をいっぱい抱えている人がたくさんいる。心の苦しみはなかなか他人の眼に見えないもの。そして眼に見えてきたならば、これは赤信号。

そんな時、眼に見えないものを見続けているプロに相談するのがもっとも安全……。だけど自分で自分の心をそっと眺め、整理することができるなら、そのほうが安全なときもある。

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心が傷ついて痛んでいる時、

大切なのはそっと包帯をしてじっとしていること。

身体の傷はそれですむ、だけど心の傷に包帯をまくことは身体の包帯より比べられないほど難しい。そんな時、心の傷や痛みに上手に包帯がまける方法が必要なはず、この手紙はそんな人のため。

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悩みや苦しみが深まっていった時、

「こんな苦しみ、絶対誰にもわからない」と誰もがそんなふうに思うもの。

そして、「世の中で誰より自分が一番苦しんでいる」と思うもの。

そして、その思いはある意味では正しい。

なぜって、苦しみ、痛んでいるのはあなただから。

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いくら専門家でも、あなたと同じ苦しみと痛みを理解し、正確に想像し、それらを共有できたとしても、あなたに代わって苦しみ痛むことは絶対できない。

苦しむ体験をしているのはあなた。だから、それを一番よく知っているのもあなた。だから、それらをもっとも理解できるのも、多分他人ではなくあなた自身。

だからこの方法はあなたにとり意味を持っていると思う。

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気持ちが行きづまったり、困ったことがたくさんある時、

なぜ、なぜと考えるのは止めておこう。それは心を疲れさせるばかり。

そんな時には、静かに自分の困った問題を一つ一つ丁寧にそっと眺めてみよう。

あんな心配、こんな不安。次々と出てくる。そしてそれら全てはあなたの心の事実と真実。真実なんて一人の心に事実の数だけいっぱいある。決して一つではない。そしてそれら全部を含めてあなたの心。そして私の心。

「なぜ」という問いは次の「なぜ」を呼び、また次の「なぜ」を呼び、頭が「なぜ」だらけになるから。

そして「なぜ」って問うのはどうしても、心をきゅっと紐で縛ったように心を固くさせるから。

頭で心は支配できない。もしそうしようとするなら、ノイローゼのように疲れてしまうだけだから。

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あなたの悩みを、思考という束縛から解放して、そして悩みに尋ねてみよう。「問題さん問題さん、あなたはいったい、どこに行きたいの?」って。

悩みは必ずどこかに納まりたがっている。もしそれが感じられ、そこにそっと納めてあげれば、あなたと悩みの関係が変わるはず。

心のままにさせてみること……それはとても大事なこと……。時には、心の行くままにさせてあげよう。悩みは必ずどこかに納まりたがっているから……。

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身体の安静は簡単だ。ただ身を横たえるだけで、少しは安まる。だけど心の安静は、とても難しい。身体を横にしていても、気がかりなことは次々と湧いてくる。

そんな時、考えるのを止めておくことなんて、できっこない。

ただ少しできるのは、次々に湧いてくる心配や不安を一つ一つチェックして、そして心配なこと、気がかりなことを、大きく流れる河に浮かんでいるいろいろなものを土手から眺めるように、静かに眺めること。そうするだけでも、心の安静は少しずつやってくる。

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大切なことは「今、ここの自分」の私。昔のことではない。

「今、ここの自分」の時間が静かにあふれ出てくると、少しずつだけど、昔の苦しみは砂のようにサラサラに風化してくる。

この方法はその風化を早めるはず……。

昔を変えるのはできっこない。だけど、「今、ここの自分」は変えられるはず。昔の事実は変わらない。だけど、「今、ここの自分」と自分が抱えている悩みの見方が変わるなら、昔の見方もどんどん変わる。この方法は、そんな変化のため……。

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心を解き放してください。心を行きたい所に、心のままに行かせてあげてください。思考という、論理という束縛から解き放つことが少しできるなら、心は落ち着く所に行けるでしょう。そしてあなたと悩みとの関係は、きっと前よりましなものに変わるはず。

この解き放つことは、感じること。

「感じ」って、とても大切なこと。「感じ」には、理論も理屈もない。だけど、大切なこと……。それは、人は昔より、心の底辺のこの動かし難い感じで動いているという事実をよく見れば分かること。たかが感じ、されど感じ。感じは心の根っこの部分。

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「好き」に理屈はありますか?多分いろいろあるでしょう。だけど、その根にあるのは、ただ好きなだけ。

苦しみに理屈はありますか?多分いろいろあるでしょう。だけど、その根っこには、いいようのない苦しさだけがある。そしてこの根っこの苦しみは、多くの場合、どうたとえても、たとえても、言葉を完全に越え、ただ息吹のように流れる感じがするだけ。

理屈はとても大切。だけど「感じ」に理屈をつけるなら、「感じ」は怒り出すでしょう、「そんな僭越なことはするな!」って。

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心がとても苦しいとき、あまり話さないほうがよい場合もある。話すときには、きちんと理解される保証が必要。

だけど、その保証は難しい。相手がいくら保証してくれても、あなたが「保証された」と感じない限り、何の保証にもならないから……。

だけど、ただそっと、何かにその苦しみを優しく包んで心の横に置いておけるなら、そして、少しずつそれをできるなら、その苦しい感じは少しずつ生々しさが薄らいで、傷が癒えるのも早いから。あてにならない保証を人に求めるより、自分に保証を求めるのは一つの安全な方法……。

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嫌なとき、言葉にし難い気分のとき、あまり無理に口にしないほうがよいでしょう。言葉は便利だけど恐ろしいもの、「言ってしまえばおしまい」な時も多々あるから……。

そんなとき、心の声をそっと聞くのです。言葉ではなく、心の音と音色を聞くのです。すると、とても苦しいこと、嫌なことが簡単に聞こえてくるから……。

なぜって大昔の言葉はみな、小鳥のさえずりや獣の発する音色が、親しみや楽しさや苦しみや警戒を示す言葉だったのだから。

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一生を通じて問題や悩みは次々にやってくる。絶対に悩まない方法などありっこない。もしあると言うなら、それは大嘘だ。

ただ確かに言えること、それは問題が次々に出てきても、その受け止め方はいくらでも変えられる。問題が次々に出てきても、問題とあなたとの関係は、いくらでも変えられる。

だから「気にするな」とかいう、バカげたセリフも出てくるけれど、問題はどうしたら少しは気にしなくなれるのか、そんな具体的な方法を一人でも多くの人に知ってもらいたかったのです。

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大切なこと……それは、心も自然の一部だということ。自然に逆らうと必ず大きなしっぺ返しがやってくる。

心も自然の一部だから、雨の日も風の日も、時には台風もやってくる。決して晴天ばかりではない。

それは人の心も同じこと。ただ確かに言えるのは、心の風雨をどうしのぐか、そのしのぎ方は、きっと今より上手になれるはず。

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私は元来ものぐさだから、人に頼まれたりしたとき以外、一人で文を書くことなどしなかった。だけどこの手紙だけは、なんだか困っている人に読んでもらって、何かの役に立ててもらいたかった。私には珍しいことでした。



増井武士『迷う心の「整理学」―心をそっと置いといて』
講談社現代新書1483 講談社 1999年

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