南島的季節感
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昨日の記事に出てくる友人と写真について語り合っていたとき、「この時期の光は好きだな」とか、「これから太陽の光がきれいな季節がくるね」などというセリフが印象的だった。
これまで季節による光の変化なんて意識したことがなかった。
奄美関係のブログで一時期「桜の花とススキの穂が同じ風景の中にあって、季節感が混乱する」という話題が出ていた。
彼らは島外から移住してきた人たちだった。
私は小さいときから当たり前のようにその風景を見ていたので、彼らの言葉で初めてそれを意識した。
そういえば「内地」在住の方に手紙を書くとき、季節の挨拶によく迷ってしまう。
先方は今、どのような季節なのだろうか?どのような暮らしをしているのだろうか?
「内地」から手紙を受け取るとき、繊細な季節描写に圧倒されることが多い。
南の島で暮らしていると日本語の「四季」とは違う季節感が身に付いてくるようだ。
それは多分、暑い/寒いのような、もっとシンプルなものなんだろうな。
春と秋はあまり鮮明にイメージできない。
こまやかな季節感は素敵だと思う。
でも私にとっては、尻尾を持たぬ人間が尻尾の振り方を想像するような、謎に満ちたものだ。
南の島で生まれ育った皆さん、いかがでしょうか?
皆さんは四季の移ろいを肌で感じていますか?
もし実感できてないのが私一人だとしたら、きちんと赤面しつつタイトルを変更しないといけないでしょうね
追記 「内地」とカギカッコでくくったのは、この言葉に少し違和感があるからです(プライベートな会話ではよく使いますが)。「本土」もあまり好きではないし、「ヤマトゥ」は不快に感じる人がいるみたいだし、なんか適切な言葉ないですかね?
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